高くて、不味くて、量が少ない

天地人三歳の理

 算命学の基礎理論には、「天地人三歳の理」(てんちじん、さんさいのことわり)というものがある。これは、換言すれば、「気・心・体」であり、「霊魂・心・肉体」である。武道やスポーツの世界で語られる「心・技・体」とは、似てはいるが違う。

 この様に、算命学では、一個の人間の組成を二元論(ここでは、「心と体」、「精神と肉体」という意。)ではなく、三元論で捉えている。そして、それらのバランスを高い位置で保つ事が、運命改良の鍵であると論じている。
 

 尚、天地人三歳の理、その他算命学の基礎理論について学びたい方は、算命学基礎理論ブートキャンプのご受講をお勧めする。
 オンライン講座もあるので、北海道から沖縄迄、日本全国は元より、アメリカ、オーストラリア、タイ、インドネシア、エルサルバドル等、インターネットさえ繋がれば、そして、日本語が理解出来れば、世界のどこにいても受講出来る。

 又、近々、初学者向けに算命学の概要を楽しく学ぶ講座「花組」も開講するので、興味のある方は、そちらも検討してほしい。

 尚、算命学の思想・哲学・帝王学の部分に興味があるという方は、おそらく、さる命学教室程、高レベルで教えている所はない(日本一の算命学教室を「自認」している。)ので、ヘンテコな名の会社ではあるが、騙されたと思って一度試して頂きたい。他の大手の学校と比較して貰えば、きっと私(さる山隊長)の言っている事が本当だと理解して頂けると思う。

 

さて、前置きはここら辺にして、ここからが本題だ。

 私は、外食が多いのだが、そんな中で最もがっかりするのが、今回の記事のタイトルである「高くて、不味くて、量が少ない」場合だ。勿論、これは客観的な評価ではなく、私個人の独断と偏見による主観的評価である。故に、どの店がこれに該当する等と言うつもりはない。
 

高いとは

高い

 まず、「高い」とは、当然、値段である。何を持って高いとするか、安いとするかは、議論が分かれるだろうが、私は、その商品やサービスを購入するに当たって、必要となる金額の平均だと考えている。

 簡単に例を挙げれば、余程安さを追求したもの、或いは、素材や製法に拘ったものでない限りは、今日の日本国内におけるラーメンの価格は、500~1000円の範囲に収まるだろう。こんな感じだ。

 しかし、一口にラーメンと言っても素晴らしい素材と大変な手間を掛けて作られた至高の一杯もあるだろうし、自分で袋麺を買ってきて作るレベルのラーメンもある訳だから、結局は、「その商品の満足度・クオリティーであれば、幾ら迄は出せる」という個人的な感覚が基準となって、高いか安いかを判定している訳だ。

 算命学では、「物事の価値は、常に相対関係の中に生まれる。」と論じている訳だが、正にその通りだと思う。
 

不味いとは

 次に、「不味い」とは、味の良し悪しであるが、「たで食う虫も好き好き」という諺が示す様に、これも個人の好み、主観的な問題である部分が多い。しかし、社会においては、多くの人が旨いと思えば、その店は旨い店と認識され、逆に、多くの人が不味いと思えば、その店は不味い店と認識される事になる。

不味い

 即ち、一個人の評価と社会の評価は異なる場合があるが、より重要なのは(その店舗が潰れないで済むのかは)、社会的な評価の方だ。

 算命学では、「物事の価値は、時代と社会が決定する。」と論じている訳だが、正にその通りだと思う。個人的にどんなに好きなお店でも、その時代における社会の評価が得られなければ、潰れてしまうだろう。

 逆に、個人的にどんなに嫌いな(高くて、不味くて、量が少ないと思う)お店でも、その時代における社会の(一定の)評価が得られれば、続いていくだろう。
 

 私の担当する算命学ブートキャンプ(星組)は、講師の口と態度が悪いらしく、散々な評価を頂く事もあるが、一方で、大手の学校で高段位を取得された方、プロの講師や占者が学びに来られるので、又、大儲けという訳ではないが、ちゃんと事業として成り立っているので、(手前味噌ではあるが、)一部の人には不評であっても、それなりに価値があり、支持されている(だから、潰れずに続いている)といって良いだろう。

 それが(その事業が)そのまま存続しているという事は、自分がどう思うかに関わらず、その時代と社会において、それなりの価値を認められている訳で、それが納得出来ない人は、それを変えよう等とは思わずに、ただそこから離れていれば良いのだ。
 

 即ち、不味い店に入って損した気分になっても、怒りすら湧いてきても、出来る事は、もう二度とその店に行かない事だけで、どんなに悔しくても、それで納得しておかなければ、自分の運命を崩す事になるかも知れないという事だ。これは、自分の運命を落とさない為の秘訣の一つだと思う。
 

量が少ないとは

量が少ない

 最後に、「量が少ない」だが、これは私の主観によるところが大きい。即ち、食事とはお腹を一杯にする事だという(個人的な)認識がある為、非常に美味であっても、それでお腹が一杯にならないと、残念な気分になるのだ。

 算命学では、満足は「心」で感じるものだが、そもそも、その前提となる部分(何をしたい、どの様に在りたい、何に幸せを感じるか)は、霊魂の感応作用であると考えている。すると、私の大盛りが好きという思い(価値観)も、一見すると肉体(胃)の欲求に見えて、実は霊魂の作用なのだ。
 

価値観は霊魂の感応作用

 私が、美味しさを感じ、お腹が一杯になり、そのレベルの満足を得る為に一般的に必要とされる金額の範囲(平均の範囲内)に収まる料金であるならば、私は大いに満足を感じ、何度でもその店を訪れたいと思うだろう。これが私の価値観であり、それを形成している大元が「気」、即ち、「霊魂」だ。

 そして、実際に味を感じ、腹を満たし、お金を支払うのは「肉体」で、霊魂と肉体の間にあって、それらのバランスを調整する器官、そして、満足を感じる器官こそが「心」であると、算命学では論じている。

 

価値の話

 もうお気付きだろうが、今回のブログ「高くて、不味くて、量が少ない」は、私の飲食店に対する不満を書いた記事ではなく、実は「価値」の話だったのだ。

価値
海産物は山間部の方が価値が高い

 算命学には、「価値論」といって、物事の価値を論じた部分があるが、この様な思想の土台があって、その上で、現状把握や未来予測の技術がある訳で、人はその部分のみを見て「占い」と言う。しかし、「算命学の占い」は、もっと奥が深い。

 算命学の占いを十分に理解・活用する為には、基礎理論を学び、理解しておく事が重要であるという事が、おわかり頂けただろうか。

 とりとめの無い記事だが、単なる「占い」ではなく、本当の算命学というものに興味を持つ方が増えてくれると嬉しい。

(さる山隊長)

 

 

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