占い師さんに読んで欲しい!良い悪いの観念について

良い悪いの観念がある占い師

最近よく、目の当たりにすること

最近、『占い師に良い悪いの観念があると、やっぱりダメだなぁ』と目の当たりにするようなことが何度もありました。

人から認められたいとか、人の上に立ちたいという欲を持っている場合、人にアドバイスができる『占い』は、お金を稼ぎながらその欲を満たせるツールにもなります。

そして、さほど勉強もしていない人が占い師として看板を上げているというのも、よく見聞きします。
 

しかしながら、占い師は人の人生をも左右しかねないわけで、それなりの覚悟と愛情と目的と知識を持って、目の前のお客さんに接する必要があると私は思っています。

算命学は、しっかり勉強すれば、ほとんどのシーンに何らかの回答を示してくれています。
しかし、算命学をただ過去を当てるだけのために使ったり、算命学はただのきっかけに使うだけで、自分の考えをお客さんに押し付けるだけの占い師もたくさんいるらしいのです。


これでは、算命学自体が信用を失ってしまいます。
せっかくこんなに素晴らしいものが世の中に良い形で残っているのに、それをうまく活かせないどころか、信用を失墜させるような形で使われていることが多い(らしい)のは、本当に悲しいことだと思うのです。

四柱推命のモニターになったときの体験

さて、過去に何度か書いたことがある内容ですが、最近はこのブログを、占いに携わる人も多く読んでいるらしいので、改めて体験談を書いておこうと思います。


20年くらい前、私は占いというものを一度も受けたことがありませんでした。
ある日、知り合いから、「四柱推命を勉強中の人の、モニターになってあげてくれないか」と頼まれて協力するという形で、初めて占いに触れる機会を持ちました。

その鑑定の場で、色々なことを言われたのですが、その後私は全くスッキリせず、とてもモヤモヤすることになったのです。
なぜなら、私のある性質を示して、「これは良くない性質だから直さなければいけない」だとか、身近な人のことを、「この人とは相性が悪く、そのうち離れることになる」などと言われたからです。


私はその性質を、扱いにくいとは思うものの、自分の欠点だとは思っていませんでしたし、相性が悪いらしきその人とは、意見が合いにくい分、切磋琢磨できる間柄だと受け取っていたからです。
悪いと思っていなかったことを、『悪い』と断定されたことに、とても不快感を覚えたのでした。

その時、占い師に良い悪いの観念があったら、こんなことになってしまうんだなと、強く思いました。

当時は後に自分がまさか占いに関わる仕事をすることになるとは思いもしませんでしたが、その十数年後に『さる山さる子』を作ることになった時に、さとうに真っ先に、『良い悪いの観念を手放すように』と指導することになったわけで、あの時の経験は必要だったのだなぁ・・・というか、未来への布石だったのだなぁと思っています。

そらまめイラスト

さて、良い悪いの観念とはどういうものか、

それがあると、どうしていけないのか、

また、どうすれば良い悪いの観念を手放せるのかなどについて書きます。
 

「良い悪いの観念」があるとは

観念とは

そもそも、物事には良いも悪いもなく、その事象を受け取った人が、『良いこと』『悪いこと』と振り分けているに過ぎません。
そして、人や立場によって、その良い・悪いは全く異なります。

さて、人は良い・悪いの振り分けを、どのように決めているのでしょうか?
立場によるものであれば、その役割に応じて決めますので、そこには感情を伴いません。
感情を伴うものは、その人が持っている観念に寄ります。

感情を伴うものとは、自分が『悪』と見做している行動を取っている人に対して、怒りの感情が湧くというようなものです。
 

例えば、嘘を平気でつく人や、ズルをする人に対して、イラッとするという感じです。

この、イラッとする感情の元になっている、『嘘をついてはいけない』『ズルをしてはいけない』という決めつけが、観念というものです。

 

情報や体験、教育、常識から観念は蓄積される

観念は、子供の頃から親や先生に教えられてきたこと、世間の常識、過去の経験などから自分の中に蓄積されていきます。

子供の頃の人間はただの獣ですから、社会生活を滞りなく行う為に、様々な観念を植え付けられます。
観念がなければ人間は社会生活を営みにくく、大人になるにつれ、それはそれは大変な思いをすることになるでしょう。
 

また、嬉しかったことや、傷ついたことからも、観念を蓄積します。
自分がされて嬉しかったことは『○○しなければならない』『○○するものだ』と思いがちですし、イヤだったことは『○○してはいけない』という経験値から来る観念を蓄積させます。
 

また、社会人になってからも、周りとの軋轢を生まないための観念を、どんどん蓄積していきます。
 

さらに、書籍やテレビからも観念を蓄積します。
勧善懲悪なドラマを見続ければ、『金持ちは悪者』『かわいそう人はいい人』などと、荒唐無稽な観念を、知らず知らずに自分の中に植え付けていたりするのです。
そして、金持ちを見れば、何か悪いことをしているに違いないと、判断してしまうのです。
(この観念は、金持ちになってはいけない、弱い立場でいなければいけないという縛りを自分に課すことになり、人生が大きく歪みますので、もしも持っていると気付いた人は、手放した方がいいですよ。)
 

大人になってもその観念いる?

子供の時には必要なものであったとしても、成長に伴って知恵が付けば、観念などなくても、自分の頭で『これをやっていいのか、やったらマズいことになるのか』の判断がつくようになってきます。
 

例えば、子供の頃は、『嘘をついてはいけない』という思いから、常に正直でいるようにしたとしても、大人になれば、むしろ場に合わせて上手に嘘をつけた方が、生きやすくなります。
それがもっと良い形でできるようになったとき、本来はその観念は要らなくなるのですが、『要らなくなった観念を掃除する』ということをやった事がない人がほとんどです。
そして、観念をどんどん蓄積させている人が、多いと思います。
 

『年を取るにつれて、怒りっぽくなった』『イライラすることが多くなった』という人がいますが、観念がどんどん溜まり続けているからだと思います。
 

「観念」があると どうなるのか

行動は変わらないが 精神疲労に差がでる

持っている観念により、人は感情を動かします。

例えば、『嘘をついてはいけない』という観念を持っていれば、嘘をついている人を見ると、怒りを感じます。
しかし、他人にだけ感情を揺らすのではなく、自分に対してもそれを行います。
 

人が社会で生活していれば、何らかの嘘をつかなければいけないシーンというのに遭遇します。
心では快く思っていない人の前でも笑顔で対応するものだし、お葬式に行けば、それほどの関係でなくても悲しい顔をします。
時に応じて、心にもないことを言う必要もありますし、本当はだらしなくても、きちんとしているフリをする必要もあるでしょう。
それが社会性というものです。

そういう時に、『嘘をついてはいけない』という観念を持っている人は、上手に外の顔を作ることができませんし、必要に応じて嘘をついてしまったときは、自分を責めます。
 

そういう具合に、観念をたくさん持っている人は、無意識に自分を責め続けてしまうので、生きているだけで疲れ果てるのです。

観念があってもなくても、行動はさほど変わりません。
なぜなら、嘘をついてはいけないと思っていなかったとしても、人は必要以上に嘘をついたりしないからです。
あまり嘘を重ねれば、信用を失って、かえって損になることを知っているので、頃合いを図ることができるのです。
 

行動はあまり変わらないのに、片や自分を責め続け、もう一方は責めない。
前者は疲れるのに、後者は疲れない。
また、前者は上手に嘘がつけないことにより、さらに嘘を重ねる必要が生じたりします。

観念がない方が生きやすくなると、わかるでしょうか?

さて、そんな風に、観念を持っていると、自分のことも人のことも責める気持ちを持ってしまいます。
占い師さんが観念を持っていたら、目の前の人が自分の観念と合わないことをやっていたときに、その人を『変えよう』としてしまうのです。

また、例えば『離婚してはいけない』『不倫はいけない』『親は大事にしなければならない』『人を嫌ってはいけない』などの観念を持っていたら、そういったことにまつわる相談をしに来た人を責める気持ちをもってしまい、その気持ちは気をつけていても相手を咎めるという形になって、言葉の端々に出てきてしまいます。
 

相談に来る人は、自分でもビクビクしながら、でも苦しくて来るということも多いわけですから、その人にさらに罪悪感を持たせる必要などないと思いませんか。

そして、人はそれぞれ、生き方も持っている世界も全く違うのですから、個人の思いや価値観を押しつけるのは、人に対してとても不誠実なことだと思うのです。
 

 観念を手放す方法 

いらなくなった観念は、手放した方が良さそうだということは、今まで読んでいただいて、ご理解いただけたかと思います。
では、どうすれば、観念を手放せるのでしょうか。
 

怒りの感情から 観念を探る

自分がどんな観念をもっているかということは、普段なかなか自分で気付くことはできません。

たとえ、『嘘をついてはいけない』という観念を持っていたとしても、「あぁ、私は嘘をついてはいけないと思っているんだ」と気付くには、きっかけが必要となります。
 

そこで、思い出して欲しいのが、上で書いた、

「『○○してはいけない』などの観念を持っていると、○○している人を見るとイラッとする」ということです。
自分の抱く怒りは、観念を見つけるのに使えるのです。
 

このとき、『怒ってはいけない』という観念が強いあまり、怒りを押さえ込み過ぎていて、感じることすらできなくなっている人もいますので、そういう人は、まずは怒りを感じる練習からしてみて下さい。
まずは『怒ってもいいんだ』と自分に許して、小さな不快感などを拾ったときには、あえて怒る練習をして下さい。
怒りは感じることができなくても、無意識に溜まっていますので、上手に出していかないと、いずれ自分を痛めることになります。

さて、日常生活を送る上で感じる怒りは、イラッとするなどの小さなものでも気づき易いので、それをきっかけにします。
イラッとしたことに気付いたときには、そこにどういう観念があって自分の感情が反応しているのかを見つめます。

そして観念が見つかったときは、『この観念はもう要らない』と意識的に思うなどして手放して下さい。
それを心がけているだけでも、ずいぶん違ってくると思います。
 

もしも、本気で観念に向き合いたい方は、『ただ見るカウンセリング』をご利用下さいね。

2019年9月22日 (そらまめ)

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