算命学は宗教ではありません。

算命学と宗教の差異

 今回は、「算命学は宗教ではない。」という事について、語ってみたいと思います。
 

 まず、算命学とは何かの解説からすると、これは、思想・哲学だと言えます。ここで言う「思想」とは、「一定の論理的な整合性の下に組み立てられた物事の捉え方、考え方の集合体」と、又、「哲学」とは、「人の世の摂理を知ろうとする学問、全てに共通する根本的な考え方を知ろうとする学問、世界観」と定義(byさる山隊長)しておきましょう。

 ここで、算命学は「占い」ではないのかと疑問に思われる方も多いと思いますが、算命学の本体(=陰陽説+五行説+暦術思考)は、間違いなく思想・哲学であり、占いではありません。

 即ち、ある物事をこの様に捉える、考えるという様な物事の捉え方、考え方の脈絡、思考プロセス、世界観(説・論)が算命学の本体であって、算命学の占いは、それを応用する事によって、不確定な未来を「予測」したり(決して、確定している未来を読み解く訳ではありません。予測であるからには、当然、外れる事も多々あります。)、自分の進むべき道を決定する際の一助にしたりする為の技術(法)なのです。
 

 次に、宗教とは何かと考えてみる訳ですが、ここでは、

  1. 人間や自然の法則を超越した絶対的な力を所有するとされるもの、この世界を創造したとされるもの、及び、それらのものが説いたとされる教えを信じ、敬う事を土台として組み立てられた物事の捉え方、考え方の集合体。
  2. その人物が生まれて来る前や、死んだ後の状態に関する特定の考え方。
  3. 殆どの場合、組織化され、その信仰や教義に基づく行為をし、又、それを普及させようとする。

と定義(byさる山隊長)しておきましょう。
 

 さて、算命学も思想・哲学であれば、宗教もまた思想・哲学であるから、共通する部分がある事は確かですが、それでは、算命学と所謂一般的な宗教との相違点は、何かと考えてみると、大きく次の二点が挙げられると思います。
 

1 宗教は神の教えに従えと言うが、算命学はそんな事は言わない。

 算命学では、この宇宙を構成する全てのもの(即ち、「存在」)とその循環法則を以て神と看做しています。即ち、あなたも神様、私も神様という事です。もっと簡単に言えば、算命学における神の定義は「自然の法則」(存在と推移)なのですが、だからと言って、算命学は、自然の法則、即ち、神の教えに従えなんて事は言いません

 では、算命学は何と言っているかと言うと、「自然の法則に順えば、物事は上手く運ぶし、自分も楽だろうけど、その代わり、成長しないよ。」です。逆に、「自然の法則に逆らえば、物事は上手くいかないし、とても苦しいだろうけど、その代わり、成長するよ。」、そして、「人は、自然の法則に逆らってみて、初めてその何たるかを知る事が出来るし、それが、進歩・向上に繋がるよ。」とも言っています。

 以前、私が作詞した『理』の歌詞に、「人は皆苦しんで成長し、楽しんで安住する」という行がありますが、正にこの事を言っているのです。

 又、算命学は、宗教でも道徳でもないから、例えば、「弱者には手が差し伸べられなければならない」とか「世の中は平等でなければならない」という様に、「この世の中がどうあるべきか」に興味はありません。

 算命学の興味の対象は、「この世の中が実際にどうなっているのか」、「どの様な仕組みで世の中が動いているのか」であって、世の中を冷静に観察し、その裏に働いている法則を見つけ出し、それを活用して、自分の望む様に人生(運命)を変化させていこうとしている訳です。この様に、算命学はとてもシビアなものの考え方をしています。
 

2 宗教は生前と死後を語るが、算命学はそんなものは語らない。

 宗教は、算命学と同じで、無形(目に見えない)の世界を語る一面を持っている訳ですが、同じ無形の世界でも、その守備範囲は異なります。

 即ち、宗教は、現在の自分のみならず、現在の世界に生まれる前の自分、そして、死んでこの世界から去った後の自分についても語ります。もっと分かり易く表現するならば、前世・現世・来世の三つの世界(に存在する自分)について語るのが宗教という事です。又、人は死んだ後に天国や地獄に行くとか、生まれ変わるとか、この様に考えるのも宗教の特徴です。

 それに対し、算命学は、徹頭徹尾、生まれてから死ぬ迄の事しか語りません。例えば、算命学で(仏教の言葉を借りて)「前世」と言う時、それは、広義には自分というものは存在しないけれども、確実に自分に至る流れ(血脈)が存在する世界を、狭義には胎児期(お母さんのおなかの中に入っている時間)を指します。

 又、算命学で(仏教の言葉を借りて)「来世」と言う時、それは、自分が死んだ後の世界、即ち、自分というものが存在しない(しかし、自分が残したもの、関わったものは存在する)世界を指します。

 それでは何故、算命学は前世や来世に興味がないかというと、「運命学」であるからです。運命とは、その事物の誕生から終局に至る迄の道筋、動きをいう(算命学における運命の定義)訳で、換言すれば、生まれてから死ぬ迄の一本の「道」と言えます。

 即ち、運命学とは、生まれてから死ぬ迄の生き様を研究する学問であり、具体的には、自分はどの様に生きるか、自分なりの「道」を見付ける為の学問であると言えます。それ故に、生まれてから死ぬ迄が、運命学である算命学の守備範囲で、そこから逸脱する事はないのです。
 

算命学は道家であるかも知れないが、道教ではない。

 ところで、日本へ亡命して来た算命学の伝承者呉仁和師(清国の僧侶)に学び、その後、免許皆伝となって算命学を受け継ぎ、実質的に今日の(日本の)算命学を作り上げたと言える高尾義政先生(算命学第十三代宗家)は、算命学は道教であると言っていた事があるのですが、これは明らかに誤解に基づくもので、本来は「道家」というべきで、道教ではありません

 老子の思想を奉ずる学者・学閥を「道家」というのですが、それに対し、「道教」は呪い(まじない)や祈祷など行う中国の民間宗教です。老子が道教の祖であり、道教は老子が創ったというのは完全に(歴史的な事実として)誤りです。
 

 尤も、道教は、老子の思想を取り入れた部分もあり、道教も算命学と同様、老子(道家)の流れを汲むものと言って良いのですが、

  1. 算命学は宗教ではないのに対し、道教は宗教である、
  2. 算命学は支配体制側の思想であるのに対し、道教は庶民(民間)の思想である、
  3. 算命学には信仰の対象となる神はないのに対し、道教は信仰の対象となる神がある、
  4. 算命学には呪い(まじない)や祈祷は存在しない(高尾宗家は、自ら倫道観寺というお寺を造っている程、密教系呪術の知識も豊富で、教授もしていたが、それは仏教の範疇であって、算命学ではない。高尾宗家は、算命学者でもあり、宗教家でもあったと言える。)のに対し、道教には呪い(まじない)や祈祷が存在する

という様に、両者の間には大きな差異が存在します。

 以上の事から、算命学は宗教ではなく、無論、道教でもありません。
 

 とは言え、算命学の元となった陰陽説・五行説は、古代中国における基本的な(当たり前の、前提条件、空気の様な)思想として定着し、それらは、中国の三大思想である儒教・道教・仏教にも組み入れられ、更に、儒教・道教・仏教も、相互に影響を及ぼし合っている訳だから、算命学と同じ様な思想・考え方(教義)が他の思想や宗教に存在するのは、当然だと言えます。
 

結 び

 さて、なんで今回この様な記事を書いているのかというと、昨今、宗教と霊感商法と占いについての報道が多くなされているからです。

 2022(令和4)年7月8日、安倍晋三元首相(衆議院議員)が暗殺されましたが、その背景に関する報道で、宗教、占い、霊感商法というものに対する世間の関心(というより疑念、批判という方が正確かも知れない。)が増した様に思います。

 そこで、日本一の算命学教室を自認する「さる命学教室」の講師としては、この機会に、算命学は占いであるけれども、その本体は思想・哲学であり、宗教や霊感とは別物である事を明記しておこうと思い、この記事を書いた次第ですが、ここでは、霊感には触れられなかったので、それについては、又別の機会に語りたいと思います。
→ 算命学と霊感 
 

 最後に、正しい算命学、陰陽説五行説の基礎理論を学びたい方は、是非、さる山さる子の算命学教室、略して「さる命学教室」の門を敲いて下さい。学びたいという志があれば、どんな人でも歓迎ですが、感情に囚われ、論理的な思考が出来ない方には向かないかも知れません。

(さる山隊長)
 

 

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