算命学の結婚占技は、技術論に留まらず、結婚とはどういうものか、結婚における相性とはどの様なものかを考察しています。この記事は、前回に引き続き、「結婚」をテーマに記載しています。
修行の相手を選ぶ
離れたくても離れられない配偶者というのも辛いですが、大好きな相手を早くに失うというのも辛いものです。
周りを眺めていて、夫婦仲が良く、親子の関係も良好という、いわゆる仲良し家族は、家族の中の誰かと早くに離れることになることもよくあるなぁと思っています。
逆に、「こいつ、いなくなれば良いのに・・・」と思うような相手は、いつまで経っても側にいるのに・・・
ということなのだろうと思います。
結婚にまつわる修行は、配偶者と渡り合うという修行もあれば、相手の両親や親戚と絡むという修行もあれば、失いたくない相手を失うという苦痛を乗り越えるという修行もあるように思います。
ベクトルの違いこそあれ、いずれにせよ、修行は避けられないわけです。
自然の流れって、苛酷ですよね・・・
いずれにせよ、この人となら修行したいと思える相手を選ぶのが、お勧めです。
結婚前のお嬢さんなどは、『結婚する=幸せになる』と、結婚に対するふわふわした夢を描いている人もいるのではないかと思いますが、結婚は修行だということを覚えておいた方がいいです。
なぜなら、結婚は『現実』だからです。
『結婚は現実』
さる山さる子の算命学教室、略して『さる命学教室』
【結婚占技】より
結婚しなかったとしても、夫婦に限らず、簡単に離れることのできない相手はいるもので、そういう人は総じて修行の相手です。
キツい思いをしなければ、精神性は上がっていかないので、その人の持っているものや課題に応じて、その状況が与えられます。
渦中にいるときはしんどいかも知れません。
しかし、そこを乗り越えた数年~十数年先には、『このためにあれが与えられていたのか!』と思える日が来ます。
それを信じて、目の前のことからしっかり学んでいけばいいのです。
人により修行は違うが公平
以前、Twitterか何かで、こんな内容の文章を見かけました。
その人は、子だくさん家族の長女に生まれ、弟や妹たちの世話をし続けて、それから逃れるために結婚をした。
ところが嫁ぎ先は商売をしていて、家には職人さん達がたくさんいて、結局、人の世話から逃れることはできなかった。
というものです。
その人は、人のお世話をすることで、自分の中の何かが消化されたり、持っている才能に磨きをかけることになるのだと思います。
逃げたところで課題が終わらない限り、何らかの形で繰り返し巡ってくることになりますし、そこから逃げ続ければ、どんどん貧弱で人のせいにばかりするような人生となっていきます。
修行は、誰にも与えられます。
どんな形で与えられるのかの内容は違えど、そこは公平だと思います。
一見、代々のお金持ちで恵まれているように見える人にも、自分の人生を自分で選ぶことができない不自由などがあったりします。
そして修行なので、その人にとって最も苦痛を感じる課題が、最適なタイミングで巡ってくることになっているのですが、それを苦痛と感じない他人から見ると、恵まれているように見えるのです。
自分は不幸だと思っている人も、他人から見るとだいたいは、恵まれているように見えるのです。
隣の芝生は青く見えるものですし。
来るものにはいちいち抵抗せず、開き直って立ち向かった方が、より早く超えられます。
最初のうちはしんどいですけど、来るものは自分を成長させるものだと受け止めて、次々乗り越えるうちに、乗り越え方のコツも掴めてだんだん楽になっていきますよ。
(そらまめ)