才能が怖い

昨日、隊長の書いた陰陽五行の歌詞をアップしましたが、ここのところ隊長は、歌詞をいくつか書いたことで、頭がすっかりそのモードになってしまったようです。→他の歌詞

『以前から、作詞はできるんじゃないかと思っていたけど、やっぱりできた』と。
で、いろいろなテーマで詞が書けそうだと言い始めました。

そして、衝撃の一言。
 

隊長 「歌詞が湯水のように湧いてくるんだよ。オレ、自分の才能が怖い。」
 

そらまめ 「うわ、現実でそのセリフ、初めて聞いたわ!」
 

と笑っていたのですが。。。
 

この、『才能が怖い』というこの言葉、ちょっと聞くと慢心しているかのように聞こえるのですが、結構深い言葉です。(隊長も深い方の意味で使っている)
 

才能による迷い

隊長は多才で、やればほとんどのことが、人並み以上に、しかも、かなりハイレベルに、できてしまいます。(算命学の命式にもそう出ている)

あまり才能のない人間からしたら、うらやましくも感じてしまうのですが、器用貧乏という言葉もあるように、多才さは人生を迷わす罠にもなります。
 

物事は一つのことをコツコツと極めることで、ようやく自分のものになり、現実的に形を成していきます。
しかしそこで、やらなければいけないことがあるのに、他のものがやりたくなり、目移りし、本来やるべきことがおろそかになって、成せなくなります。
多才な人達にとって、才能は、お試しとして与えられているのかも知れないとも思います。
 

また、才能があるがために、あきらめきれないという状況にも陥ります。

世の中にはいろいろな才能を持った人がいます。
例えば、歌のうまい人は歌手を目指したりするわけですが、才能があるだけに『もう少しがんばれば、プロになれるのではないか』と、あきらめきれなくなってしまうわけです。
 

私の友人にも、芸術家夫妻がいますが、見ていると、彼らは自分で選択してそれを職業としているというよりも、もはや、生き様です。
苦しくても、他のものになれないのです。その道を進むしかないのです。
 

算命学では、才能を『癌のような凝り固まり』と表現しています。
つまり、並外れた才能などない方が、人生は生きやすいわけです。

分かりやすい才能を与えられている人も、多才な人も、才能を与えられた人は、自分の才能とどう折り合いをつけていくかが、人生の課題になるのではないかなと思います。
 

(そらまめ)
 

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