これで最後です。
3 合理的な生き方は、行き過ぎれば人の情を破壊するので、人から信頼される様な生き方をする事、慈しみの心を持つ事が重要
これは、あくまでも従たるものであって、主たるものは、合理的に身を処す事、多くを学ぶ事です。しかし、極端に知に傾くと、人の情を軽く見る傾向が現れます。そしてそれは、時に、多くの恨みを買い、自分の運命を大きく崩す原因となります。
「過猶不及」とは論語の言葉ですが、至言だと思います。

余談ですが、算命学では、信徳は、間接気と言って、直接いじる事が出来ないものと考えています。
これは、正しい事を行い、知性にあふれ、人を慈しむ心を持ち、その言動が礼儀・礼節に叶ったものである事で、初めて、人に信頼される様になるという事です。つまり、信徳は一朝一夕には得られず、日々の立ち居振る舞いが重要であるという事です。
また、慈しみの心は、人に対する奉仕に繋がります。即ち、誰に対しても、慈愛の心、奉仕の心をもって接すれば、恨みを買う事が無いし、攻撃(邪魔)をされる可能性が低くなるという事です。
4 今後の展望として、良くも悪くも今迄のやり方では通じなくなる(大きな変化が起こる)
これは、処世術ではなく、予知に当たります。
冬の寒さが厳しい時期は、幹となる部分を守る為に、枝葉はどんどん切られていく事になります。
つまり、これから起こるのは、破壊と創造であろうという事です。破壊と創造は、新しい物事を生み出す為の土壌であり、必要な事ではあるのですが、時に多くの犠牲を伴う事になります。

しかし、今の段階では、自分が幹か枝葉のどちらになるか、まだ確定していません。この時期をどう過ごすかで、幹になる事もあれば、枝葉になる事もあります。愉快な春を迎える為に、今はしっかり頑張りましょう。
あとがき
今回は、「算命学でコロナを語る」の続編として、「コロナ時代をどう生きるか」(処世術)をテーマに語ってみました。
前回も述べましたが、算命学の占いは、持って生まれた本質の分類、環境の分類を併せて考察するのが常道なのですが、ここでは、環境分析のみをして、それなりの答えを出しています(それでも、十分使えるでしょう?)。
算命学は、統計学ではなく、スピリチュアルや感覚的なものでもなく、自然を観察し、論理的な考察をする事によって、自然の法則を知り、それを基に、人間の運命を考察する思想であり、学問でもあるという事を少しでも分かって頂ければ幸いです。
算命学の占いは、この様な思想(陰陽説・五行説)を土台として、個人の運命を考察していくのです。
(さる山隊長)