『理』(ことわり)の算命学・陰陽五行説的な解説(3)

 前回迄に、前書き、予備的な解説、前段(五徳の部)の1番(義徳)・2番(智徳)3番(仁徳)・4番(礼徳)の解説をしましたが、今回はその続きで、5番(信徳)、そして、後段のサビ部分の解説をします。
 

信は引き付ける力
大きな器量溢れる魅力
時に利己的であり
時に愛を表す
あらゆるものを調整し
衆を率いる大きな力
人の歩みは儘ならぬもの
信頼を得て心を磨き
自分の道を歩んで行こう

信


 信は、中央土性の気、即ち、引力本能が発現したものであるから、人の心を引き付けた状態、即ち、「信頼」に繋がっていきます。
 

 信徳の発現は、基本的には、人の心を引き付けた状態、即ち、他人からの信頼を得た状態と言える訳ですが、しかし、他人から信頼される人間は、他人を信じる事も出来るのです。裏返せば、人から信じて貰えない人は、人を信じる事が出来ないし、又、人を信じる事の出来ない人は、人に信じて貰えないという事です。
 

間接気であるが故に

信の人

 前に中央土性は間接気であると述べたのですが、これは、義・智・仁・礼の四つの徳が、バランス良く、高いレベルで燃焼した後に、二次的に生まれて来るのが、引力であり、信徳であるからです。それ故に、信徳が発現しているという事は、大きな器量、溢れる魅力が既に備わっているという事になるのです。
 

 この様に、中央の引力(信徳)が稼働する迄には、相当な時間と努力が必要になる訳ですが、しかし、発現した引力が消滅する、即ち、信頼を失うのは一瞬で、何の努力もいりません。これは、義・智・仁・礼・信の五つの徳の内、一つでも崩れれば、瞬時に引力(信徳)が稼働しなくなるからです。故に、誰でも知っている事ですが、「信頼を築くのには多くの時間と努力が必要だが、失うのは一瞬」なのです。
 

愛の定義

 尚、算命学では、人の心を自分に引き付けようとする想念を「愛」と定義しています。これは、人の心を引き付けようと思うが故に、人に愛を与え、奉仕をするという事です。そして、引力が強くなり過ぎると、時として、人は我田引水(自己中心的、利己的)となるのです。
 

土性の特質

 ところで、土性には、再生(リサイクル)とか、季節(寒暖)を調整する役目があります。これは、土の中(洞窟)は、一年中温度が一定で、すると、相対的に夏は涼しく、冬は暖かく感じられる訳で、古代中国人は、これを季節のバランスを調整している姿と捉えたからです。
 

中央王

 又、中央土性は、大地(国土)の中心であるから、算命学では、王(集団を率いる長)の座であると定義しています。と言うと、算命学の初学者は、王の座は北方で、家臣の座が南方ではないかと思われるかも知れません。確かに、それはそれで間違ってはいないのですが、これは相対的な位置関係を見ているからで、即ち、南北縦線における二者の位置関係について、一方が南方に位置しているならば、他方は必ず北方に位置している事になるのです。
 

 因みに、南方よりも中央が格上で、中央は、有形・現実の世界においては、最も格上(正に王の座)となる場所です。しかし、無形・無限にして精神の世界においては、中央よりも北方が格上となります。現代の日本で言えば、内閣総理大臣が中央、天皇が北方に当たります。
 

人間の役目

心のライン

 最後に、算命学では、六分類の立体五行説を使用する事が多い(勿論、五分類の平面五行説を用いる場合もある。)のですが、この六分類を使用する際は、天の場所は精神的な心の場所、地上の中央は現実的な心の場所と分類する事になります。
 

 即ち、地上の中央から天に伸びる天軸こそが「心」の場所であり、算命学では、人間は誰しも、心の次元(=階層・レベル)を天=神=自然の法則の位置に迄上昇させる事が、神=自然の法則から与えられた無形の役目であると考えているのです。
 

 ここ迄で、前段(五徳の部)は終わりで、いよいよサビに入っていきます。
 

line秋

陰陽説

相反する光と闇
二つの面を持つ心
良い時があれば
悪い時もある

我に七難八苦を与えよ
なんて事は言わないけれど

苦しいからこそ成長出来る
それは天地の真理
中庸を得て満足を感じる
それも宇宙の真理

人は皆苦しんで成長し
楽しんで安住する
生きている限り続く
それが人生
それは運命

陰陽

 古代中国人は、この世界の成り立ちについて、その初めは混沌とした気の集合体であったと考えていました。やがて、明るく澄んだ気(陽の気)が上昇して天を形成し、重く濁った気(陰の気)が下降して地を形成したのだと考えたのです。この様に、「陰」と「陽」という性質の異なる二つの気の働きによって、万物の事象が生まれ、消長(勢いが衰えたり、盛んになったりする様を言う。)すると考えるのが、陰陽説です。

 簡潔に表現するならば、陰陽説は、「一つのものは、性質の異なる二つのものから成り立っている。そして、それらの力関係(強弱のバランス)は常に推移する。」という考え方から成り立つ思想と言えるですが、やがて、この陰陽説と五行説が結び付き、「陰陽五行説」と称される様になりました。今日ではこちらの名称の方が一般的なのではないかと思います。

極陽陰

 ここでは、「光(陽)・闇(陰)」、「良い・悪い」という様に「性質の異なる二つのもの」を現していますが、注意しなければならないのは、確かに、陰陽説は二元論なのですが、実は物事(この宇宙と言っても良い。)を三つに分類しているのです。

 三つとは、即ち、「陰・陽・極」です。例えば、「人間の心を極とすれば、陽なる心(光)と陰なる心(闇)」、又、「人間の運命を極とすれば、良い時(幸運を感ずる時)と悪い時(不運を感ずる時)」という感じです。算命学では、この様な考え方を「一極二元論」と呼んでいます。

 そして、「陽なる心(光)と陰なる心(闇)」(二元)が合わさって、初めて「心」(極)が成り立つのです。裏返せば、心(極)は「陽なる心(光)と陰なる心(闇)」(二元)から成り立っている(両方の質を併せ持つ)という事です。これは、「良い時(幸運を感ずる時)・悪い時(不運を感ずる時)・人間の運命」であっても全く同じです。

 

苦を味わうと成長する

 さて、戦国時代、山中鹿之介という武将が、「我に七難八苦を与えよ」と神に願ったとか、願わなかったとか、まぁ逸話なので、真実は分かりませんが、何故その様な事を言い出したのか、その心境については、想像が及びます。そして、おそらく、「我に七難八苦を与えよ」と神に願った人物は、歴史に残っていない範囲では、かなり多くいるのだろうと思います。
 

成長中

 算命学では、人間は苦を味わうと、意識が生まれ、それ故に、創意工夫を凝らし、学びを得、能力も経験も人間性も向上していく、逆に、楽を味わうと、意識する事がなく、安穏とした人生を送る事が出来るけれども、人間的な成長は得られないと考えています。
 

 つまり、敢えて「苦」を求める人がいるのは、成長したいから、算命学的に表現すれば、心の次元(人間性=人徳)を上昇させたいからという事でしょう。しかし、私(さる山隊長)は、別に心の次元の向上を求めてないので、「我に七難八苦を与えよ」なんて事は、言わないのです。~笑
 

 とは言え、七難八苦が来てしまったら、それに向き合い、乗り越えるしかありません。やりたくないけど、そうしなければ、成長どころか、安穏とした人生も送れなくなるからです。まぁその時は、覚悟を決めます。
 

中庸

 「天地」は、天と地、即ち、全ての世界=自然界を現していて、換言すれば、宇宙と言えます。宇宙とは、全ての空間と全ての時間が合わさった概念であるから、天地=宇宙=全ての世界=自然界と言えます。
 

 「真理」とは、自然法則、仕組みの事です。
 

バランス

 「中庸」とは、その事物なりに、バランス(均衡)が取れている状態を言います。完全に5:5という訳ではなく、砂漠には砂漠なりの、熱帯雨林には熱帯雨林なりの、南極には南極なりのバランス(中庸)が存在します。
 

 この様に、算命学では、二者(陰陽説だから)のバランス(均衡)が取れている状態を「中庸」と定義しているのですが、満足・安住は「静」、即ち、「中庸」(均衡)の中にこそ存在し、「動」(不均衡)の中には存在しません。

 しかし、「中庸」は「静」であるから、時が経ってもその場に留まり、進歩・向上はありません。即ち、心の次元の上昇は得られないのです。という事は、それらを得る為には、「動」(不均衡)を作り出す必要があります。

 とは言え、「動」の中に「中庸」・「満足」はないので、それらを欲するならば、「静」の世界を作り出していかなければならないのです。
 

 纏めると、「静」は中庸・安住、「動」はアンバランス・苦・進歩・向上で、これらが二元的に循環し、その循環のバランスが取れている世界が、我々が住まう宇宙なのです(これが陰陽説の考え方)。そして、この事は、人間個人にも当て嵌まるのです(人間小宇宙論)。
 

動の運命・静の運命

 最後に、算命学では、「運命とは、その事物の誕生から終局に至る迄の道筋、動きをいう。」と定義しています。そして、その運命を極とすると、陽・動なる運命と、陰・静なる運命に区分する事が出来ます。更に、陽・動なる運命を極とすると、陽・幸運と陰・不運に区分する事が出来ると考えています。尚、算命学において、何の注釈も付けず、ただ「運命」と言う時は、「動の運命」のみを指すという約束事(共通認識)があります。

 そして、算命学では、幸運とは、自分の本質が無理なく燃焼される環境に恵まれる事(本質と環境の合致)、逆に、不運とは、自分の本質を十分に活かす事が出来ない環境に身を置いている事(本質と環境の不一致)と定義してます。
 

 当然、人間は生きている限り、その度合いは別として、幸運と不運のどちらをも味わう事になる訳で、それが、この宇宙の真理(仕組み、自然の法則)であり、その様に世界(=人間の人生)は成り立っているのだと、算命学では考えているのです。
 

 

如何だったでしょうか。 

 この分量で、さる命学教室の通常の1コマの半分~2/3くらいでしょうか。正規のさる命学教室は、初級課程中級課程を併せて143コマあるのですが、講義のレベルは大体こんな感じです。きっと、レベルの高い教育を行っている(自称「日本一の算命学教室」です。)事が、お解り頂けたのではないかと思います。
 

 算命学を真剣に学びたい人は、是非、さる命学教室の門を敲いて頂ければと思います。
 

line秋

初学者の方へ

 少し難解だったかも知れませんが、さる命学教室で1年も学べば、余裕で理解出来る様になります。「自分には無理かも」と思わず、一度、基礎理論ブートキャンプを受講してみて下さい。Wスクールも大歓迎です。
 

講師・占者の方へ

 さる命学教室は、Wスクールを歓迎しているので、多くの現役占者・講師の方が学びに来られています。その方々は、今迄自信がなく、突っ込んだ質問をされると、回答出来なかったり、誤魔化したりしていたので、ちゃんと学びたかったとおっしゃいます。
 「聞くは一時の恥。聞かぬは一生の恥。」と言います。
 算命学を基礎理論から、しっかりと身に付けたいという方は、是非、さる山の門を敲いて頂きたいと思います。同じ志を持つ仲間が沢山いますから、心配ありません。

 

(さる山隊長)
 

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