スピリチュアル占いと算命学

 今回は、スピリチュアル占いと算命学というテーマで語ってみたいと思います。

スピリチュアルとは

 まずは、スピリチュアル(spiritual)の定義からですが、これがなかなか難しく、辞書で確認してみると、ラテン語の「spiritus」に由来する言葉で、「霊的な」、「精神的な」、「(キリスト教の)宗教歌、及び、そこから派生した音楽」との記載があるので、それを参考に、ここでは、「目に見えない霊や、精神的な事柄を感じ取る独特の感性」(byさる山隊長)としておきます。

 すると、スピリチュアル占いとは、目に見えない霊や、精神的な事柄を感じ取る独特の感性を所有する人物が、その感性に基づき、何かを推察する事、及び、その技術である(byさる山隊長)と定義する事が出来ます。
 

大きく異なるイメージ

 ところで、この「スピリチュアル」ですが、英語圏と日本国内では、その言葉の持つイメージが相当異なる様です。英語圏では、キリスト教という宗教が深く関連するのに対し、日本国内においては、キリスト教との関連はなく、目に見えない世界や精神的な事柄を捉える感性やそれについて語る人、目に見えない不思議な世界を感じる感性やそれを持つ人という様なニュアンスで語られる事が多い様に思います。

 尚、スピリチュアルという言葉の意味について、詳しく学びたい方は、梶原直美氏の論文、『「スピリチュアル」の意味―聖書テキストの考察による一試論―』(川崎医療福祉学会誌 24 (1), 11-20, 2014 川崎医療福祉学会)をお読みになると良いと思います。この記事を書くに当たって、スピリチュアルの定義をする際に、大いに参考にさせて頂きました。

 次は、算命学の定義ですが、算命学がどういうものかについては、長くなるのでこちらをご覧下さい。
 

スピリチュアル占い?

 最近、「スピリチュアル占い」というのをよく見掛ける様になりました。以前、「占いの三類型」について語った事がありますが、その内のどれに当て嵌まるのだろうと考えてみると、同時期に連続して占いをする度に、その答えが異なるのであれば「卜術」と言えるし、何か「形」を見ているのであれば「相術」と言えるし、生年月日を尋ねるのであれば「命術」と言えますが、どうやらこの内のどれにも当て嵌まらなさそうです。

 そもそも、「占い」とは、不確定な未来や、何かを予測する事ですが、「占い師」というと、その為の何らかの技術を所有している、且つ、占いを業としている人物と定義する事が出来ます。人は誰しも、何かを予測する場面はある訳で、その際は(未来を)「占う」とは言うけれど、しかし、それを以て「占い師」と看做される事はありません。
 

 スピリチュアル占いをする人は、反復・継続的に、お金を取ってそれを行っている訳だから、「業として行う」という要件は満たしていますが、「何らかの技術を所有している」という点はどうでしょう。

 例えば、オーラの色が見えるという人がいますが、その人達を集めて、誰かのオーラの色なるものを見て貰った時、てんでバラバラになるのか、それとも、見事に一致するのか、私は実験した事はないのですが、前者なら、見えているとは言えません。しかし、以前見たテレビ番組では、見事にバラバラでしたから、きっとそうなのでしょう。

 本来は、目に「見える」というからには、「形」があるはずなのですが、百歩譲って、通常の人には見えないけれども、見える人には見えるという主張を受け入れたとして、であるならば、見える人が見た時には、同じ色が見えなければおかしい訳です。という事は、やはり「見えてはいないのだろう」(おそらく、何かを感じているのだろう)という事になります。
 

三類型には当てはまらない占い

 この例の様に、所謂スピリチュアル的な感覚が、個人の感性・感覚であって、他の人はそれを見る事も、感じる事も出来ないという事であれば、他人に伝承する事は不可能ですが、その個人の中ではそれが確立しているのであれば、それを「技術」と呼ぶ余地はあると思います。

 すると、スピリチュアル占いも、占いの技術であり、それを業としている人は占い師だと言えます。尤も、個人的には、占い師というよりも、霊媒師(死者や神・霊と通じ、その意思を伝える者)や巫女(神意を伺い、それを伝える者)の仲間と分類する方がしっくりくるのですが、当人がそれを「占い」と言うのであれば、それを完全に否定する事が出来ないのも事実です。

 という事は、占いの三類型に当て嵌まらない、新たな占いの誕生か、それとも、やはり霊媒師や巫女と分類すべきか、どっちだろうなどと考えてみたのですが、「まぁどっちでも良いんだけどね。」というのが個人的な結論です(笑)。
 

 因みに、所謂スピリチュアルな人と私(さる山隊長)は、エライ相性が悪いみたいです。私は、その手の人に会うと、大喜びで色々と疑問をぶつけるのですが、一度たりとも、嫌われなかった事がありません。何ででしょうね(笑)。

 私は、算命学もスピリチュアルも、共に道具だと思っていて、道具は何でも上手く利用すれば良いと考えているので、それを上手く使いこなし、三方良し(売り手良し、買い手良し、世間良し。)となるなら、スピリチュアルも大いに結構と思っていますよ。
 

算命学とスピリチュアル占いの違い

 さて、さる山さる子の算命学教室、略して「さる命学教室」で教授している「算命学」(思想)は、物事をじっくりと観察し、その共通点を見出し、分類する事で、自然の法則(ルール)を知ろうとしています。そして、その法則を適用し、場合によっては、生年月日と紐付け、物事を推察するのが、算命学の占いです。

 算命学も霊魂、心という無形の世界を取り扱う訳ですが、しかし、算命学には、共通の土台・ルールがあって、人はそれを習得し、活用し、伝達する事が出来ます。これは、感性・個人的な感覚を使うのであれば、出来ない事です。

 即ち、算命学は知性・理性の学問(だからといって、科学ではありませんよ。思想ですから。)であって、そこに感性・個人的な感覚の入り込む余地はないのですが、スピリチュアルが感性・個人的な感覚の世界だとすると、スピリチュアル占いと算命学の占いは、正に対極な占い(推察)の技術だと言える訳です。
 

結局のところ、勝てば官軍

 しかし、これらについて、どっちが良いとか、悪いとか、優れているとか、劣っているとか、格上なのか、格下なのか、という様な評価をする事は出来ません。これは、異なる世界のものを同列に並べて評価する事は出来ないからです(これも算命学の基本的な考え方です。)。

 つまり、上手く使った者勝ちという事です。
 

 しかし、知性・理性を使う占いと、感性・個人的な感覚を使う占いを同時に学ぶ、或いは、同時に行う事は、無理なのではないかと思います。これは、富士山を山梨県側から登っている際に、更に、静岡県側からも登ろうとする様なものであるからです。

 故に、これから占いを学ぶ、或いは、形作ろうとしている方は、相当程度習熟する迄は、どっちか一本に絞った方が良いでしょう。どちらの道を歩んでも、行き着く所は同じだから、心配はいりません。

 しかし、消費者(お客さん)側からすれば、別にどっちでも良く、その際に、より自分の役に立つ方を採用すれば良いのだと思います。

(さる山隊長)

 

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